仏教はキリスト教・イスラム教と並ぶ世界三大宗教に数えられている。特にキリスト教においては発祥地である中近東周辺から後世にローマ帝国の庇護を受け、ローマ帝国の全ヨーロッパ征服とともにヨーロッパ各地で信者数を獲得していき、「ヨーロッパの宗教」として地位を確立したとも言える。さらに中世の大航海時代以降積極的に新大陸(南北アメリカ大陸)やアジアに宣教師を派遣し、世界各地において土着宗教を駆逐しあるいは融合を見せ、完全な世界的宗教となったとも言えるだろう。一方比較して、イスラム教はアラブの宗教、仏教はアジアの宗教というイメージが払拭できない。
しかし、20世紀、世界の覇者となったアメリカを中心として、1960年代から1970年代にかけての公民権運動やベトナム戦争を契機として、そのアメリカをはじめとする欧米キリスト教徒の間に、一神教的キリスト教的思想から、アジア的な思想、特に仏教に目を向けられ始めたことは確かであると言えるだろう。事実この時代、若者に絶大な影響力を当時持っていたザ・ビートルズのメンバーがインド哲学に興味を示したり、ザ・ドアーズのヴォーカリストであると共に詩人でもあった、ジム・モリソンが仏教のマンダラに興味を示しマンダラの世界観を自身の解釈のもと映像や詩に残したりしている。以降21世紀となった現在においても各界で影響力を持つ欧米の著名人がキリスト教から仏教に改宗したことを告白したり(例を挙げるならイタリア人のプロサッカー選手であるロベルト・バッジョやハリウッド俳優で人道主義者として影響力を持つリチャード・ギアなど)、仏教をベースとしたメディテーションスクールがアメリカやヨーロッパといったキリスト教圏において盛況を博していることも事実である。20世紀後半以降、こと仏教は世界的宗教としてこと注目を浴び始めていることは特筆に値するだろう。
では仏教の宗教としての実質的始まりはいつかということを考えてみたい。
仏教の始まりを考える上で、パーリ律蔵の『大品(マハーヴァッガ)』は重要なテキストである。本来律すなわち比丘・比丘尼の生活規律作法などのテキストであるが、序盤の全体の7分の1程度はいわば最古の「仏伝」となっているからである。
そこから読み解くに、仏教の始まりのタイムポイントとも言える部分を拾い出すことができる。以下箇条書きにしてみる。
1 仏陀が菩提樹のもとで成道を果たしたとき
2 梵天勧請を受諾したとき
3 初転法輪
宗教の確立を考えるとき、どの宗教でも共通であるが、教祖・教義・信者が揃うのが基本といえる。「仏教」で考えれば、仏法僧という「三宝」が揃った時点、さらにその「三宝」に帰依する在家信者の存在の発生によって仏教の成立、つまり実質的始まりと考えるのが妥当ではなかろうか。教祖である仏陀(釈迦)、法(ダルマ)の確立。さらに僧(サンガ)の確立、そしてさらに十分宗教として成立させるために、信者(在家信者)という構図が確立し、宗教団体として運営維持できる状況になった組織が仏教の始まりであると言えるだろう。
では先に上げた3点について考えてみたい。
1について
「仏教の始まり」を考察するうえで誰もがまず、最初に考えるであろうタイムポイントは、ゴータマ・シッダルダが、仏陀つまり「目覚めた人」として成道を果たした時である。仏教の教えの根源が生まれた時、「縁起」と「十二因縁」こそが、初期経典のそして、すべての部派・宗派に共通する「原点」であろう。
ただし仏陀自身は成道の後、7日間縁起を順逆し考察するとともに解脱を楽しみ、悟りで得た内容を説法するという行為を行おうとしなかった。説法を行わなければ仏陀の得たものは仏陀自身のみのものとなり誰にも伝わらない。よってこの時点において仏教は成立したとは言えない。
2について
仏陀は梵天勧請を受ける前、ラージャーヤタナ樹に近づいたときに現れた二人の商人タプッサとバッリカが、麦菓子と蜜団子を差し出している。この2人は最初の在家信者といえる。構図として、教祖と信者ができた時である。2人は仏陀の足に頭をつけて礼拝し、「尊いお方よ、ここに私たちは、“幸あるお方”と“正しい教え(真理、法)とに帰依いたします。幸あるお方は、私たちを信者(優婆塞)としてお受け容れ下さい。今より命終わるまで帰依いたします[i]」(”“点は著者)と言っている。ここでは、「仏」と「法」へのいわゆる二帰依が行われている。しかしまだその時には、サンガとしての僧集団が成立していなかったわけである。そして更には仏陀自身説法をする決意を持っていなかったことも重要なポイントであろう。
要するに仏陀は、衆生に説くことをためらっていた。むしろ説法への執着が無かったと言えるかもしれない。仏陀は悟りを得、生死を超越していたからである。「苦労して私が証得したことを、今、説く必要はない。貪りと憎しみに打ち負かされた人々は、この真理をよく知ることがない。これは世の流れに逆らい、微妙であり、見がたく、微細であるから、貪りに染まり、闇黒の塊に覆われた人々は見ることができない」[ii]。確かに、崇高な教えを悟ったとしても、衆生にその教えを説き、信者を作らなければ、仏教としての宗教が成立しないのだから、教祖としての決意(心の動き)が、大きなきっかけであろう。その部分を前述した「梵天勧請」として、ポイントにあげることができる。
この時点、信者の誕生及び仏陀の説教への決意。宗教としての始まりだとみるのも、疑義はあるものの、ひとつと考えることはできよう。
その疑義とは、まだ仏教が宗教として成立し得る条件が揃っていないということである。
3について
梵天勧請を受けて、仏陀はその悟った教えを説くために行動を起こした。鹿野苑で成道前の修行仲間であった5人の比丘に対して行われた「初転法輪」と言われる説法である。
仏陀はこう述べている。「比丘たちよ、如来は阿羅漢であり、正等覚者だ。比丘たちよ、耳を傾けよ。不死は証得された。わたしは教えよう。わたしはダルマを説こう。教えられたとおりに実行する者は、遠からず、良家の子息たちがそのために家から家なき者へと出家する、その無上の梵行の最終目的を、まさに現世で、自ら認知し、目の当たりにし、身につけて生きることになる」[iii]。そして、自らが悟った中道と四諦八正道が、説かれていく。その教えを、5人の比丘たちは理解し、執着がなくなり、煩悩から解脱した。阿羅漢は、世界に6人となったのである。
前述した宗教団体としての条件である、教祖(=仏陀)・教義(=法=ここでは中道と四諦八道)・僧侶団体(=サンガ=5人の阿羅漢)・在家信者(=2人の商人タプッサとバッリカ)がここに揃うのである。この時点をもって、仏教という宗教団体が成立したといって過言ではないかもしれない。
しかし、まだ私自身にはこの解釈にも疑問が残る。なぜならこの時点で条件が全て揃った。しかし最初の信者となった、2人の商人タプッサとバッリカは、二帰依はしているが、三帰依はしていないからである。
以上により当初仏教の実質的始まりとして私が予想した3点について、つぶさに考察を行ってみたが、それらは確信に近づいていたかもしれないが、必要十分条件を満たしたとは言えないであろう。
それはなぜか。言うまでもなくそれは、「三宝に帰依した在家信者」の存在が抜け落ちているからである。
再度考証したいが、タプッサとバッリカ(最初の在家信者)たちをして、最初の在家信者とみなすかどうかが、改めて問題である。それは何度も触れるが、タプッサとバッリカは、二帰依(「仏」=「仏陀」と「法」=「ダルマ」)はしたが、まだその時点で成立していなかった「サンガ(=僧侶集団)」には、帰依していない。5人の比丘が仏陀に認められ出家した後、良家の子息ヤサが出家する。その父親である長者・家長は、息子ヤサを探しに仏陀のもとに行くのだが、仏陀の教えに感得し、次のように述べている。
「尊いお方よ、ここに私は、幸あるお方と真理と比丘の集まりにとに帰依いたします。幸あるお方は、私を信者(優婆塞)としてお受け容れ下さい。今より命終わるまで帰依いたします[iv]」。
こうして長者・家長初めて「三帰依」をした在家信者として現れることになる。また直後にはヤサの母と旧妻も仏教における最初の信者、つまり優婆夷となった。ここにおいて完成された構造の宗教団体として「仏教」が成立したのである。『大品』によれば次々に仏陀のもとに、出家者が集まり、大きなサンガが成立されていった。
仏教の実質的始まりの結論としては、この「三帰依した在家信者」である長者・家長の登場のポイントこそが、宗教団体としての仏教の成立とみなすのが、妥当ではなかろうか。
仏陀が天才であったことは紛れようもない事実である。それとともに史上最高の宗教家の一人であった。宗教家は単なる理論家や学者に留まっていてはいけない。優れた社会教育者であることによって始めて世界に宗教を広め、人々を平和と幸福へと導くことができるのである。仏教が宗教として成立背景には、仏陀自身が優れた理論家・思想家という枠を超越して、優れた社会教育者であったからこそという事も忘れてはならないことであろう。また14世ダライ・ラマはその著書の中で次のように述べている。「もし自らが探求して仏陀自身の教えの中に矛盾があると思うなら、自らの方法に従え、と仏陀は説かれている。仏陀は自らの教えを批判する権利を弟子たちに与えられたのである[v]」。この言葉はまさに仏陀自身は最高の教師であった事を意味しているように思える。
[i] 『仏教かく始まりき』 p.30
[ii] 『 同 』 p.37
[iii] 『ブッダの伝記-その資料と解釈-』 p.73
[iv] 『仏教かくはじまりき』 p.122
[v] 『ダライ・ラマ「死の謎」を説く』 p.195
【参考文献】
谷川泰教『ブッダの伝記-その資料と解釈-』 高野山大学、2008年
宮元啓一『仏教かく始まりき パーリ仏典『大品』を読む』 春秋社、2005年
水野弘元『釈尊の生涯』春秋社、1985年
渡辺照宏『新釈尊伝』(ちくま学芸文庫)筑摩書房、2005年
ダライ・ラマ『ダライ・ラマ「死の謎」を説く』(角川ソフィア文庫)角川書店、2008年
瓜生中『ブッダの言葉』(角川ソフィア文庫)角川書店、2011年
河合隼雄『無意識の構造』(中公新書)中央公論新社、1977年
清水知久『ベトナム戦争の時代』(有斐閣新書)有斐閣、1985年