仏陀は歴史上の実在の人物であり、仏伝はそうした歴史上の人物としての仏陀の誕生から修行・成道さらにはその後の行動までが描かれた「伝記」との位置づけにあると考えて良い。これは同じく新約聖書におけるイエス・キリストのそれと同じく実在の偉大なる人物ゆえに記録されたものであり、また同時に一宗教の教祖という聖者であるという意味から多かれ少なかれ、神話的要素も多く取り込まれていることは確かである。
『サンユッタ・ニカーヤ』や『律蔵大品』における「梵天勧請」は、ほぼ同じ内容であるが、仏陀が成道し、その得た悟りの内容(=ダルマ)を衆生に説くかどうかを悩んでいる、むしろ説かないでおこうという描写が著されている。
「この人々は、執着の対象を楽しみ、執着の対象に泥み、執着の対象に喜んで、この境地を見ることは難しい」「他の人たちがわたしの言うことを了解できないとすれば、それはこのわたしの疲労だ。それはこのわたしには有害だ。」とそう言わせる。ここでその心のままの行動を仏陀が取っておれば物語はここで終わりどころか、仏教はありえずさら仏陀の伝記すら存在し得なかった。そこで「梵天勧請」が現れる。『律大品』によれば「衆生には、汚れの少ないもの、多いもの、能力の優れたもの、弱いもの、姿の良いもの、悪いもの、教えやすいもの、にくいものがいて、そのなかには、あの世と罪とに恐れを見て生きているものたちと、あの世と罪とに恐れずにいきているものたちがいるのを見た」とあり、仏陀はここにおいてダルマを説くことを決意するに至る。
一方、この「梵天勧請」を大乗的な視点で見直すと、『首楞厳三昧経』の中に発心に関して長老マハーカッサバの言葉に、「わたしたちにはどの衆生に菩薩の機根があり、どの衆生に菩薩の機根がないかを判断する智慧が無い。わたしたちはこのようなことを知らないために、あるいは衆生に対し軽んじる心(軽慢心)を生じ、そのことで自ら傷ついています」とある。仏陀はその言葉を受けて、カッバサに対し「人は妄りに人を評価してはならない。・・この因縁をもって、もろもろの声聞と余のもろもろの菩薩は、もろもろの衆生に対して「仏想」を生じるべきである」と述べている。
この相違を考えれば、私見ではあるが、大乗仏教からみれば初期仏典における「梵天勧請」伝は、仏陀が「ダルマを説法しようとしなかった」と考えたことは仏教にとって「都合が悪い」ものではなかったではないだろうか。これは仏陀の転法輪をドラマ化する大きなセレモニーとしての逸話である。仏教以前の信仰対象であった梵天が認め、仏教を世に送り出すエピソードであったが、大乗的見方からすれば、「ブッダが覚りを開いたばかりの時、世間を見渡し、衆生の能力を見て、理解できるものがないからという判断に立って、説法を躊躇した」という表現としたのであろう。
大乗仏教が、経典として発展する過程で、初期大乗経典の『ラリタヴィスタラ』が、「梵天勧請」までで終わっていることは、特筆に値する。また『華厳経』などでは、加えて2回目や3回目の勧請が語られ、仏陀が主体的に決意し説法という観点が、大乗では「梵天」が勧請したのみならず、帝釈天を含む諸神勧請、さらに菩薩による勧請まで語られている。
初期仏伝の中での、世尊が「衆生を疑った」という、大乗的には相入れざる部分を、すべての衆生が請願したという伝承に変えることによって、より普遍化で宗教的かつ大乗仏教的に昇華したと考えるのが妥当であろう。
【参考文献】
谷川泰教『ブッダの伝記-その資料と解釈-』 高野山大学、2008年