大乗仏教の諸思想と密教的展開

 釈尊の時代においては、修行者は自己自身が「仏」となることなどは思いもよらず、修行の完成の段階において煩悩の滅尽した境地である阿羅漢という位に達することが最上の願いであった。

 それでは、いかにその境地から発展し、衆生が成仏するという大乗仏教と言う考えが生まれてきたのか、またその諸思想からどのように密教的展開が行われたのだろうか。

 大乗仏教の「大乗」とは「大きな乗り物」に他ならない。つまり仏教と言う「大」きな「乗」り物によって衆生は成仏できるというものである。出家者ではない俗世間の凡夫でもこの利他行を続けてさえいけば、誰でも未来の世において成仏できると宣言したのが大乗仏教運動の特色である。

 大乗仏教の完成に大きく寄与した人物として、八宗の祖とも言われる龍樹を無視することは出来ない。釈尊の死後約700年の時を経て、彼は大乗仏教の思想形態を明らかにし、その理論付けを行い、仏教思想に大きな影響を与えたことは、仏教における宗教改革とも言え特筆すべき点である。

 大乗仏教において、「菩提」と「心」は誕生当初から変わることのない中心課題であった。この菩提と心という点をめぐって、大乗仏教のあらゆる理論が論じられてきたと言っても過言ではない。真言密教においても変わることなく、両部の大教といわれる「大日経」「金剛頂経」においても、教理の中心に菩提心という核がある。

 では、「菩提心」なるものとは何であろうかという疑問が沸き起こる。菩提とは、悟りの結果としての智慧を指す事は記述するまでもないので、悟りによる智慧を求める心ということになるであろう。

 龍樹は「宝行王正論」において、菩提心について次のように述べている。

「その(菩提の)根本は、王の山(ヒマーラヤ山)のように堅固である菩提心と、十方にあまねくゆきわたる慈悲と、(あれこれと差別化して執着することのない)不二の知恵である」と。ここに菩提心を重視する大乗の観点が顕著に述べられていえると言えるだろう。

 以上をまとめると、大乗仏教の大きな核は、菩提心であり、その特徴としては、自身の成仏を求めるにあたって、まず苦の中にある一切衆生を救いたいという心を起こすことを条件とし、この「利他行」の精神を大乗仏教と部派仏教とを区別する指標となるであろう。

 龍樹によって体系化された大乗仏教は、様々な思想的展開を認めることが出来る。

 現実として、具体的数字としての八宗に限らず様々な仏教宗派へとその教えが発展・展開したことも事実である。つまり彼が理論付けした大乗の教えは、核は残したまま様々な形態となって展開したと言えよう。そして仏教発展の最終段階ともいえる密教においても大乗仏教の真髄を「核」として成立しているのである。

 大乗仏教においては、仏教における本来目的である成仏をめざす方向と、治病・富貴・長寿などの俗世間的な願望の達成、つまり現世利益を求める方向、これら2つの相反する面が縦と横の糸となり、多彩な綾を織りながら展開している[i]

 大乗仏教の典籍の中には所謂三蔵と呼ばれる、「経」「律」「論」のほかに、「菩薩蔵」「呪蔵」と呼ばれるものが追加されて五蔵という概念がある。なかでも「呪蔵」は密教と大いに関連を持つことは容易に予想される。そうした密教経典が増えていくに従い、それらは一つの「蔵」に収められていると言うことで陀羅尼蔵として扱っている場合がある[ii]

 また「大日経」の先駆経典あたりでは、「入法界品」の普賢菩薩が、密教的に金剛薩埵へと変容していく様子を伺わせる記述が散見するようになる。それにともなって、普賢菩薩を因位つまり修行位の菩提心行の代表とし、密教的観点から菩提心行という因の側面を、密教の修行者の代表者として金剛薩埵になぞらえて、同化していくようになるのである。

 上記から考察するに、仏教とは初期段階から密教化する種子をすでに携えており、大乗仏教の理論構成の中で密教の萌芽が既に見えることとなり、仏教そして大乗仏教の最終発展系として密教が理論化され誕生したことは、釈尊が予想したかしなかったかに関わらず、必然であるように思われる。なぜなら、悟りを求めて発心する以上、密教的なるのは当たり前とも思われ、事実仏教の密教化は歴史が証明しているからである。

 密教も仏教であることは言うまでもない。したがって密教にもその所依となる経典がある。釈尊はその在世中に説法を文書として残さなかったことは良く知られているが、そこで後世に編纂されたものが、経典となって整えられた。よって経典は「如是我聞一時」という言葉で始まる。これは「私はかくの如く聞いた。あるとき世尊は」と言う意味であり、その経典の権威となる証の接頭語とも言える。

 しかし、大乗仏教運動が盛んになり、それらの経典類が出現してくるようになると「如是我聞」という言葉が大きな問題となってくる。なぜならそれらが整備された時期には、釈尊は入滅し5世紀近くが経ているからである。また具体例としては、会津の徳一がその著書「真言宗未決文」の中においても、「『大日経』冒頭の『如是我聞』の『我』とは誰か」と「結集者の疑」を呈している。

 事実、密教の教えの相承について考えた場合、大日如来から金剛薩埵へ、そして龍樹(龍猛)が「南天の鉄塔内で、金剛薩埵から直接その法を授かり」とあり、確かに歴史的事実と考えることは困難である。しかし大日~金剛薩埵~龍樹(龍猛)~龍智・・・という系譜が神話化あるいは伝説化されることによって、はじめてその意味を持つのであり、また教理自身にその必然性が求められる「信仰」について、その議論や証拠にどれほどの意味があるのか、という宗教上理論が成立するだろう。

 また密教においては特に、大乗仏教の歴史上の人物としての龍樹ではなく、むしろ最初の密教相承者としての龍樹を想定する方がよほど意義深いと考えられよう。

 なお大乗仏教の核心ともいえる、「菩提心」や「菩薩」について、密教経典の真髄ともいえる「理趣経」に読まれる、以下の「百字の偈」が端的に顕しているように思える。

菩薩勝慧者 乃至盡生死
恒作衆生利 而不趣涅槃
般若及方便 智度悉加持
諸法及諸有 一切皆清浄
欲等調世間 令得浄除故
有頂及惡趣 調伏盡諸有
如蓮體本染 不爲垢所染
諸欲性亦然 不染利群生
大欲得清浄 大安楽富饒
三界得自在 能作堅固利[iii]

 すなわち「永遠の求道者にして、すぐれた智慧ある者は、迷いの世界がなくならない限りそのにあって、絶えず人々のためにはたらいて、しかも静まれるさとりの世界におもむくことがない」[iv]。これが大乗仏教の核心でないと何故いえようか。

 大乗仏教としての密教を考察する場合、空海の主著である「秘密曼荼羅十住心論」は非常に有効なテキストになり得る。

 この説では特に十住心論の中でも、第九「極無自性心」と第十「秘密荘厳心」について垣間見たい。

 特に大乗仏教においての核とは「菩提心」であることを再三触れてきた。上記第九、第十住心の説明においても空海は、龍猛の「菩提心論」を根拠としていることからも、その重要性が覗い知ることが出来る。第九住心を密教の立場から述べる場合、第九地を普賢菩薩の三摩地の境地とし、第十住心である秘密荘厳心の因位と位置づけ「因不可得」のは字門で解説していくことからも理解できる。

 さらに進んで、第十住心は秘密荘厳心、つまり真言密教の極地に位置するわけだが、そこでも特に「菩提心」については重要視されており、前述の「菩提心論」を引用する形で、理論展開が図られている。

若能自見時。則名一切知者一切見者。是故如是知見。非佛自所造作。亦非他所傅授也。佛坐道場證如是法巳[v]

 すなわち、この菩提心とは、一切諸仏のすべての功徳の法を包み蔵しているゆえ、もし我々の修証が出現すれば、それは一切を導く導師となる。もし根本の菩提心に帰してみれば、衆生の世界はすなわち密厳国土(大日如来の仏国土)である。この座に起たずしてそのまま、よく一切の仏の事業を成ずる[vi]、と。

 日本に伝播した密教は真言宗として日本文化圏にしっかりと根を下ろした。そこには、許容範囲の広い日本文化において未知なる密教に対する受け皿が大きかっただけではなく、空海の密教に対する理論的説明に隙間なく整然としていたことが、欽明天皇の仏教伝来以来、仏教研究が盛んかつ優秀な仏教学者の間に受け入れやすかった点が挙げられるだろう。

 大乗仏教の核心は「菩提心」であり、それは菩薩の請願とも言え、大乗仏教の言葉通り、功徳をもってあまねく一切に及ぼし、衆生すべてが仏道を成ぜんことを願うものである。

 「華厳経」の「第十品」の初地の菩薩の請願の記述にも同様の文言を見出せるが、よく知られている空海の言葉がある。それは「性霊集」に収められている831年8月の「万灯会の願文」であり、

「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きん」

 空海の雄大な願いが記されている[vii]

 ここに大乗仏教の核が、密教の核と同一のものであることが理解できることできよう。


[i] 松長有慶「密教」 p134
[ii] 勝俣俊教「密教入門」 p31
[iii] 松長有慶「理趣経」 p274
[iv] 宮坂宥勝「密教経典」 p168
[v] 高野山大学密教文化研究所「電子版 弘法大師全集 秘密曼荼羅十住心論」 p320
[vi] 宮坂宥勝「空海コレクション1」 p252
[vii] 松長有慶「大宇宙に生きる空海」 p118


<参考文献>

「密教」 松長有慶 1991年 岩波新書
「密教入門」 勝又俊教 1991年 春秋社
「電子版 弘法大師全集」 高野山大学密教文化研究所 2011年 小林写真工業
「空海コレクション1」 宮坂宥勝 監修 2004年 ちくま学芸文庫
「密教経典」 宮坂宥勝 訳注 2011年 講談社学術文庫
「理趣経」 松長有慶 2002年 中公文庫
「大宇宙に生きる空海」 松長有慶 2009年 中公文庫
「空海 秘蔵宝鑰」 加藤純隆・加藤精一 2010年 角川ソフィア文庫