空海の思想と実践に見られる独自の視点

 現在の日本文化に密教はどっしりとその根を下ろしていると行っても過言ではない。マンダラやゴマといった単語は密教用語を超えて、一般用語として我々が日常的に使用していることがその証左である。

 では、その密教を誰がいつ我が国に本格的にもたらしたかは周知の通り、平安時代初期の空海である。ただし、空海の請来以前にも「密教的なもの」は伝えられており、それらは「雑密」と呼ばれる。それらに限らず密教の主要経典の一つである「大日経」も伝来していたと考えて良いだろう。なぜなら空海の「密教求法のきっかけとなったのは、大和国久米寺において入唐以前の空海がその経典を目にしたからと伝わる」からである。

 密教はその後シルクロードを経て、中国唐へと伝わる。もっとも中国大陸に唐代に入り、全く初めてもたらさせた訳ではなく、初期密教経典は何らかの形でもたらされていたと考えられる。しかしここでは「純密」を密教と呼ぶこととするので、唐代に入り、インドから来朝した善無畏や弟子の一行が「大日経」の翻訳[i]を行い、さらにインド僧の金剛智と弟子の不空が「金剛頂経」系密教を紹介することで、インドの代表的な純密経典が初めて伝えられた。[ii]

 つまり、真言宗において「両部の大経」と呼ばれる二つの経典は別々のルートで中国にもたらされたと考えられる。

 別ルートで伝わった密教であるが、二つを相承した真言第七祖の恵果により理論的統一が図られる。[iii]

 空海は、延暦23年(804年)、遣唐使の留学僧[iv]として当時世界最大の国際都市とも言える長安へと赴き、翌年師である恵果より、わずか2ヶ月で密教の教え全てを授かり、さらには入唐からわずか2年後大同元年(806年)帰国した。その請来した密教の内容は、朝廷に提出された「御請来目録」の中において「未だ学ばざるを学び、聞かざるを聞く」[v]とあるように密教のみに限らず最新の文化体系であったことは想像がつく。

 また、恵果阿闍梨碑文に筆耕された「虚しく往きて実ちて帰る」[vi]と言う言葉は、彼自身の思いがことのほか強く感じられ、妙法を手にした喜びが窺われる。

 空海は入唐前に彼はすでに大日経を目にしている。大学を捨て、世俗の出世を捨て、一山林修行者の私度僧であった彼が、にわかに公に得度し僧侶と認められ、遣唐使の一行に加わり海を越えるということは、明確な目的があったからこそではないと説明がつかない。周到な準備の上密教求法の留学僧となったのか、あるいは純粋な仏教求法の旅の末密教と出会ったのかは、諸説分かれるところである。

 密教はインドから伝わった奥深い、あるいは包括的ともいえる仏教である。空海は密教の第一人者である恵果をいきなり訪問することはなく、般若三蔵から梵語の教えを受け、長安で当時流行していたといわれる景教寺院大秦寺も訪れ[vii]、その一端にも触れていたと考えられる。私はかつて西安を旅行しているが、中国の歴史の変遷のみならず、近代の共産革命や文化大革命を経てもなお異国の文化・文物があふれ碧眼の西洋系人種の生活するその街を目にし、空海がこれらを全く無視して密教だけを追求したとは到底考えられない。

 それらを総合的に勘案するに、恵果より空海が受け継いだ密教は、空海が持ち得ていた経験や思想から、恵果まで引継がれていた密教を越えた形で、空海独自の密教として大成したと考えるのが妥当であろう。

 そもそも空海の人間観は、それは「凡聖不二」と言う言葉をもって明確に表すことが出来るだろう。「凡=迷える人」であり「聖=仏」である。つまり、人と仏は一如であるということに尽きる[viii]。そういう人間観を確立した空海の思想はこれまでにない仏教思想ともいえ、迷える現代人にも通ずるものである。蛇足だが、私は、禅宗における坐禅、また真言宗における阿字観のいずれも実習したが、ここにおいても他宗派との違いは明確に顕れる。阿字観の足の組み方、印相は禅宗のそれとは違い、仏と同じ姿で坐るということはまさしく、凡夫である我々が、そのまま仏の姿になっているのである。

 「般若心経秘鍵」の序文に、「夫れ仏法遥かにあらず心中にして即ち近し、真如外にあらず身を棄てていづくんか求めん。迷悟我れにあらば、発心すれば即ち到る。明暗他にあらざれば、信修すれば忽ちに証す」とあるが、これは、迷いも悟りも己の心の中にあるのだから、発心し、信仰を深め修行を進めれば、さとりの境地に到達することができる[ix]ということであり、言い換えれば空海は人の「いのち」の素晴らしさ、尊さ、そしてまさしく人とは即ち仏そのものであるという思想が描き出されている。

空海の著作には「心仏を覚る、本源に帰る」という表現があるが、結局悟りというものはどこにあるものでもない。その人の心の本源に帰ることがさとりなのだ[x]ということである。

 彼の人間観を例えるならば、暗い海底でひっそり佇む石ころに、光をあて、それが宝石であると証明したといえるであろう。

 空海の教えを実践する密教に関係を持つ人々が、民衆の福祉のために骨身を惜しまず努力を重ねた事例は数多く報告されている。それは密教の思想的な特色とのつながりを無視することは出来ない。[xi]

 密教においては「密厳国土」[xii]という言葉があるが、現実世界、この場合は宇宙を含めたすべての空間と考えても良いかもしれないが、それを理想の地にしていこうとする立場が、人々が幸福な世界を作り上げていこうとする努力が福祉向上への努力となって現れたと考えられよう。

 特に大乗仏教においては、「上求菩提下化衆生」という表現がある。上を向いては悟りを求める姿勢を失わず、同時に下に向かっては苦しむ衆生の救済に全力投球を行うという意味である。[xiii]「密厳国土」の思想とはまさしく上記の実践であり、空海はこの言葉を持って大乗仏教の真髄を現したのである。その背景にはもちろん、衆生も、つまり命ある生きとし生けるものには仏性があり、即ち命こそが仏であるという思想があったからに違いない。両部の曼荼羅を観察した場合、中央の大日如来を中心に、諸尊が描かれている。私が数年前、京都国立博物館で開催された「高野山展」において「血曼荼羅」を見学した際に、我々に馴染みある諸仏の他にも、動植物・あるいは人の姿までが描かれていた。空海の著作においては、仏に帰依するときは曼荼羅に帰依するとあるが、このように曼荼羅を信仰の対象とする密教ならでは、あるいは空海の思想ならではの証左であると考えざるを得ない。

 「如実知自心」と言う言葉が、「大日経」にある。勝又俊教によればこの文言を空海が読んで驚いたとある[xiv]。それまでの仏教においては「三劫成仏」といわれ輪廻転生を繰り返し遥かな時間(あるいは私の考えでは永遠に輪廻転生を繰り返し成仏できない)をかけて成仏するものと考えられていた。それが、大日経においては、その言葉をもって「悟りとは何か。それは自心は自分の心の本性という意味であり、如実に、ありのままに自分の心の本性を見定めて、その境地にまで達するということ[xv]」と書かれているのである。現在でこそ密教あるいは空海の思想に光が当てられ、また激動の現代において心の平安が強く求められている時代にあっては、比較的受け入れやすい、特に心の病の治療に当たる精神科医や精神分析医にとっては理解しやすい言葉であろうが、当時の平安初期の時代人、なかでも仏教者からすれば勝又が述べるまでもなく驚きの一文であったことは容易に想像がつく。

 ではどのような形で「即身成仏」とは完成するのか。空海の著作「即身成仏義」の抜粋すれば、「仏身、即ち是れ衆生身、衆生身、即ち是れ仏身なり。不同にして同なり、不異にして異なり」[xvi]とあり、つまり、仏の身体は、すなわち生きとし生けるものの身体であり、生きとし生けるものの身体は、すなわち仏の身体にほかならない。このように、不同でありながら同一であり、不異でありながら異なるのであるということになるのである。四国遍路において各諸国を「発心」「修業」「菩提」「涅槃」を分けられており、もちろん密教における即身成仏の完成もこの道程をたどるものではあるが、一方で上文をそのまま読むと、わが身は既に成仏しており、それに気づくために発菩提心などの道程を踏むことにより、より確かなものになると1200年の時を越えて空海はいまだに私たちに語りかけているように思えてならない。

 空海の思想と著作や衆生救済の実践に触れることによって、我々は既に仏の子あるいは、仏そのものであることが理解できる。ならば既に仏身であるからには、本能のまま、自由気ままに生きてよいのかという問題提起がなされるだろう。もちろん答えは否である。江戸時代の名僧慈雲尊者はことのほか十善戒を重視した。これは仏教徒として生きる以前に、人間として生きるうえで基本中の基本ともいえる戒あるいは行動規範である。

 現代の我々は、今まで経験したことのないような激動の時代に生きている。今こそ空海の思想に触れ、自分自身とは一体何者なのか、どのように生きることで心の平安が得られるのかを、考える必要があるだろう。


[i] 「密教入門」 p38
[ii] 「 同  」 p39
[iii] 「空海と密教」 p103
[iv] 「空海 無限を生きる」p39
[v] 「電子版 弘法大師全集 『御請来目録』」 p12
[vi] 「空海入唐」 P163
[vii] 「空海と密教」 p95
[viii] 「密教入門」 p150
[ix] 「 同  」 p142
[x] 「 同  」 p153
[xi] 「密教」 p202
[xii] 「密教 悟りとほとけへの道」 p94
[xiii] 「密教」 p195
[xiv] 「密教入門」 p144
[xv] 「 同  」 p144
[xvi] 「空海コレクション2」 p104


【参考文献】
「密教入門」 勝又俊勝 春秋社 1991年
「密教」 松長有慶 岩波新書 1991年
「空海 無限を生きる」 松長有慶 集英社 1985年
「空海コレクション2」 宮坂宥勝 ちくま学芸文庫 2004年
「密教 悟りとほとけへの道」 頼富本宏 講談社現代新書 1988年
「空海と密教」 頼富本宏 PHP新書 2002年
「空海入唐」 飯島太千雄 日本経済新聞社 2003年
「電子版 弘法大師全集」 高野山大学密教文化研究所 小林写真工業株式会社 2011年
「即身密教パラダイム」 コリン・ウィルソン他 河出書房新書 1988年
「真実の人 慈雲尊者」 慈雲尊者二百回遠忌の会 大法輪閣 2004年