『般若心経秘鍵』を読む(2)

 まず密教そのものの成立過程を考えてみる。

 仏教はインドにおいて釈尊よって説かれた宗教である。その開宗に当たっては当時のインドの時代背景があったことは否めない。釈尊は「因果」の法則を発見し、その教えでは一切の階級制度を否定するとともに、バラモンの間で宗教儀礼として行われてきた呪術、密法、呪文を唱えることを禁じた。つまり現在密教で行われている護摩や真言・陀羅尼は原始仏教においては否定された。しかし一方で、護身用の呪句として容認されたパリッタ、さらには「法華経」や「般若経」などの大乗経典中において説かれる陀羅尼も、密教の原型的要素と考えることが出来る[i]。しかし一方、独りで山林に修行に出る場合など、インドでは慣習的に用いられていた毒蛇除けなどの呪文=真言・陀羅尼が原始仏教の中でも出家者の間ですら用いられていた。

 その後、ヴェーダの宗教における宗教儀礼や民族の生活習慣を積極的に取り入れるだけでなく、またヒンズー教の神々をも取り込みここに仏教における密教的な包括性の萌芽を見ることができるであろう。また様々な儀礼を教理によって整理されていくのだが、七世紀になって『大日経』『金剛頂経』が成立し、これまでの儀礼の目的が現世利益から成仏に転換したのである。

 大乗仏教においては、仏教における本来目的である成仏をめざす方向と、治病・富貴・長寿などの俗世間的な願望の達成、つまり現世利益を求める方向、これら2つの相反する面が縦と横の糸となり、多彩な綾を織りながら展開している。

 大乗仏教の典籍の中には所謂三蔵と呼ばれる、「経」「律」「論」のほかに、「菩薩蔵」「呪蔵」と呼ばれるものが追加されて五蔵という概念がある。なかでも「呪蔵」は密教と大いに関連を持つことは容易に予想される。そうした密教経典が増えていくに従い、それらは一つの「蔵」に収められていると言うことで陀羅尼蔵として扱っている場合がある 。

 また『大日経』の先駆経典あたりでは、『入法界品』の普賢菩薩が、密教的に金剛薩埵へと変容していく様子を伺わせる記述が散見するようになる。それにともなって、普賢菩薩を因位つまり修行位の菩提心行の代表とし、密教的観点から菩提心行という因の側面を、密教の修行者の代表者として金剛薩埵になぞらえて、同化していくようになるのである。

 これらから察するに、私見ではあるが、仏教とは初期段階から密教化する種子をすでに携えており、大乗仏教の理論構成の中で密教の萌芽が既に見えることとなり、仏教そして大乗仏教の最終発展系として密教が理論化され誕生したことは、釈尊が予想したかしなかったかに関わらず、必然であるように思われる。なぜなら、悟りを求めて発心が生まれる以上、密教的なるのは当たり前とも思われ、事実仏教の密教化は歴史が証明しているのである。

 以上のように、密教は初期仏教から大乗仏教に変化する中で、インドの多様な文化や思想を取り込みながら発展してきた歴史がある。密教は開祖としての釈尊に帰依するとともに、大乗仏教の菩薩道を歩み、さらにヒンドゥー教の神々やマントラ・護摩などを取り入れるなど、多様な構造を有している。このように密教が多様性を持つ理由として、この世界のあらゆるものに価値を認めるという密教の包容性が、大きな意味を持っていると考えられる。

 密教はその後、八世紀になって不空などによって中国にもたらされた。不空は法力によって「安禄山の乱」を調伏させたとされ中国皇帝の信任を得るとともに、積極的に布教に努めた。その法脈はインド人僧である不空から中国人僧である恵果に伝授され、その恵果より日本人留学僧である空海に伝授されることとなり密教は海を渡り我が国にもたらされたのである。なお、恵果は金剛頂経系と大日経系の両部の大経を統合させた大成者であった。よってもちろん恵果に師事した空海も「両部不二」密教相承者であるから、これまでの大乗仏教を密教的な観点から見直し、新たな教義の構築を行おうとしたことは当然のことと思われる。空海における顕教を超越した新しい考え方の一つが『般若心経秘鍵』であり、空海以前においても数多く書かれてきた『般若心経』の解釈にとらわれない独自の密教的な解釈を展開したのである。

 空海の帰朝した我が国においては南都六宗、また同時に入唐した最澄が空海より一足先に帰朝し伝えた「天台宗」があり、それぞれの宗派が、あるいは宗派を超えて顕教の研鑽を積んでいた。

 一方空海は自ら請来し整理した密教思想を基にして、『秘密曼荼羅十住心論』や『般若心経秘鍵』を著している。ここで取り上げるべき『般若心経秘鍵』では、『般若心経』一巻の中に、顕密のすべてが含まれていると説く。

 空海は『般若心経』本文を五分科しているおり『般若心経秘鍵』原文には次のように解説されている。

此教總有五分。第一人法總通分。觀自在至度一切区厄是。第二分別諸乗分。色不異空至無所得故是。第三行人得益分。菩提薩埵至三藐三菩提是也。第四總歸持明分。故知般若至真實不虚是也。第五秘蔵真言分。掲諦掲諦至薩婆訶是也。[ii]

 ここには建・絶・相・二・一という五つの思想が述べられている。空海はこのように本文を五分割し、教文それぞれの中に含まれる深い意味を探し出し、各々が声聞、縁覚、法相、三論、天台、華厳それぞれの教えに該当することを述べ、それらがすべて最後の陀羅尼に帰るという独自の見解を披瀝する総説にあたる。[iii]

 また『般若心経秘鍵』の中では、「顕が中の秘、秘が中の極秘あり[iv]」と、顕密の多重性を示し、顕蜜は二分されるものではなく、ものごとの深奥を見れば、その本質には秘があるとした。文殊菩薩と般若菩薩の智慧は、「顕密は人に在り、声字は即ち非なり[v]」と、真言・陀羅尼をもって法を説くとしている。

 つまり空海は『般若心経秘鍵』において、大乗・小乗に関わらず顕教、ひいては仏教すべての宗派に対し価値を認めているといえよう。この「分別諸乗分」を説く菩薩は、建立如来や無戯論如来など密教の菩薩名で登場しており、顕教も見る人が見れば密教であることを現している。これは、顕教も、すべて密教に包容され、決して対立するものではないことを示し著されているといえるだろう。

 空海にはこうした広大無辺な考え方が根底にあったので、806年中国からの帰国後、南都仏教の拠点とも言うべき東大寺の別当、さらには大安寺の別当職にも補任されている。こうした事実を通じて見えてくることは、空海は密教を奉じながらもそれにこだわることなく、如何なる宗派とも融通無碍に交流を重ねるという、包容性を有していたとも考えることができる。

 しかし、一方で『般若心経秘鍵』は顕教の経典である『大般若経』のエッセンスを集めたものではなく、「大般若波羅蜜多心経といっぱ(いうは)、すなわちこれ大般若菩薩の大真言三摩地法門なり[vi]」と説き、『般若心経』は大般若菩薩の悟りの内容を解き明かした密教経典であるとみなしている点などから考察するに、密教は顕教をすら飲み込んでしまうほど、当時の仏教界にあってはある種過激とも言えるほどの理論展開が行われている。こうした空海の考え方は、真理は抽象的な概念とか言葉として存在するのではなく、常に具体的な形として現われてくる。そして言葉では悟ることが不可能とされる顕教の「果分不可説」に対し、悟りの世界は形で伝えることができるとした。この「果分可説」という考え方に基づいて、真理を尊形、三昧耶形、種字などで具象化し、果分という悟りの世界までも説明するという柔軟かつ斬新で包容力のある考え方を空海は展開したのである。

 また空海は『秘密曼荼羅十住心論』において、九つの顕教と真言密教を説いた上で、「顕教も密教の観点から見れば密教である」という「九顕十密」の思想を打ち出している。

 このような空海の包容性のある理論構成は日本における密教・真言宗の大きな特徴となったと言える、事実その後も、一例を挙げるならば、従来日本人が身近に感じてきた八百万の神々でさえ、鎌倉時代以降になると、権現という形に変化させて本地垂迹説を生み出し、明治維新まで続く「神仏習合」の信仰を誕生させることになるのである。こうした日本古来の神々との同化融合もわが国の密教の包容性の現われといえるではなかろうか。日本仏教では、「山川草木悉皆成仏」という言葉が好まれ、よく用いられている。森羅万象すべてのものに神、あるいは精霊が宿るという考え方は、ケルト神話にも代表されるように、キリスト教席捲以前のヨーロッパをはじめ世界各地の素朴な信仰として受け継がれていた。日本におけるそうした思考は現代においても顕著に見られると思うが、前述のその思想は、あらゆるものに価値を見出す密教にそのまま通ずるだろう。日本の文化・思想を充分に理解し、かつ密教を悟得した空海は、日本の神々を大切に扱い、神仏融合を実現した。それは神と仏の折衷などという次元のものではなく、密教的立場からの当然の結果に他ならないのではないだろうか。

 以上において、わが国における密教思想の総合的な性格を、空海の『般若心経秘鍵』に著された空海の思想の包容性を中心にして、いかにして密教・真言宗が他宗との共存共栄を果たしてきたかという点をも踏まえて考察した。

 現代社会においては民族紛争、宗教対立、殺人、いじめなど争いが絶えない。こうした社会において、相手を認め広く受け入れるという姿勢は、とても大切なことである。異宗教・異文化を取り込み、今生きている煩悩多き人々にも生きる価値を見出す密教の包容性ある思想は、現代において、真に必要とされている思想といえる。


[i] 『密教 悟りとほとけへの道』 p.32
[ii] 『般若心経秘鍵(定本弘法大師全集第3巻抜刷)』 p.7
[iii] 『空海 般若心経の秘密を読み解く』 p.137
[iv] 『空海コレクション2』 p.377
[v] 『  同  』 p.377
[vi] 『弘法大師空海を読む』 p.207


【参考文献】

松長有慶『空海 般若心経の秘密を読み解く(増補版)』春秋社 2006年
高野山大学『般若心経秘鍵(定本弘法大師全集第3巻抜刷)』高野山大学密教文化研究所『電子版 弘法大師全集』小林写真工業 2011年
加藤精一『弘法大師空海を読む』大法輪館 2002年
加藤精一『般若心経秘鍵』(角川ソフィア文庫)角川書店 2011年
宮坂宥勝『空海コレクション2』(ちくま学芸文庫)筑摩書房 2004年
頼富本宏『密教 悟りとほとけへの道』(岩波新書)岩波書店 1988年
松長有慶『密教』(岩波新書)岩波書店 1991年