真言密教の思想特色~その史料の確認から

 現実重視の考え方は、あらゆる宗派の中でも特に真言密教において顕著に現れている。これは「即身成仏」の教義を代表として見られるように、「現世においてこの身このままで仏になる」という思想が根底に流れているからにほかならないだろう。

 さて、空海が「密蔵」あるいは「密教」という言葉を使用するのは、帰朝後である。若き日の空海が虚空蔵求聞持法を修したことは三教指帰からも読み取れるが、その神秘体験を「谷不惜響。明星来影[i]」と記している。この強烈な神秘体験は入唐以前の体験であり密教的世界の体験とも言えると思うが、密教という言葉、あるいは密教なる世界の存在を知らなかったと考える方が妥当である。赤岸鎮に漂着後の『與福州課觀察使入京啓』に「尋以一乗[ii]」という言葉が見られるが、この一乗とは何を表すのかが問題である。「一乗」とは一般的に大乗の教えを指すことから「唯一最上の教え」を学ぶことが目的であったと思われ、空海が密教なるものの存在を知っていたとしてもこの時点で明確に密教を目的としたと言い切るには無理がある。つまり空海はより優れた仏教を学ぶことが目的であり、そのこととはつまり大日経の理解が第一目的であったのであろう。

 では、長安において恵果に師事し密教を相承した彼が、他の仏教諸宗派の思想や教義と違いにおいて、密教の特色をどのように理解したかである。端的に現すものには、『御請来目録』に見ることができる。「又夫顕教則談三大之遠刧密蔵則十六之大生。遅速勝劣猶如神通跛驢[iii]」。ここにおいては顕教との対弁を主に成仏の遅速という点から論じている。またそれに先立つ『與本國使請共歸啓』には「攘氛招祉之摩尼。脱凡入聖之墟徑也[iv]」とあり、空海は密教の特色を「攘災招福」と「『即時』成仏[v]」であると理解したことが読み取れる。

 日本における真言密教とは恵果より空海に直伝されたものであるが、空海はさらにその思想を整理し、整然と理論化させた。その上で、前述のとおり「攘災招福」と「即身成仏」を根底に置いて教義を確立させた、と考えられるため、密教の特色に現実重視が特徴づけられるのは尤もと言っても良いだろう。

 ではその特色とは具体的にはどのような点において確認できるであろう。

 密教経典の中でよく読誦され、またよく知られているものに『理趣経』がある。初段において十七清浄句が記載されているが、ここに代表されるように密教は人間の欲望に対して、全面的な否定は行われない。禁欲を善と位置付け欲望をいちがいに悪と決め付けて排除するのではなくむしろ欲望を積極的に活用しようとする姿勢が顕れている。ここに密教とは「悪と善」という二元的な物の見方をするものではなく、それらを同時に肯定し、あるいは不二の存在であるという思想を読み解くことができる。ここには「煩悩があるゆえ成仏できる」つまり「煩悩即菩提」という思想の根本があると言って良いだろう。また現世にこそ真理が宿るとの考えから現実社会に理想の国土を見ていこうとする立場を見ることも可能である。

 以上は「胎蔵曼荼羅」「金剛界曼荼羅」の両部曼荼羅が、両部の大経である「大日経」と「金剛頂経」という違った世界観を元に描かれ、2つで1対という密教の思想からも窺い知ることができるであろう。なおこれら2つの経典は別々に生まれ別々のルートをたどって中国にもたらされた。空海が長安で師事した恵果の師僧である不空は金剛頂経の継承者である。また一行などは大日経の継承者であった。これらの本来別の密教であったものの統一を図ったのは、恵果であり当然恵果についた空海がもたらした密教にも2つの経典の統一、ひいては2つの曼荼羅の統一の思想が現れている。それらの曼荼羅には、大乗仏教における仏や菩薩をはじめ、異教の神々から変身した明王や諸天、鬼神まで描かれている。曼荼羅は、聖なる世界の視覚化のとどまらず、鬼神や精霊をも含めた現実の俗なる世界が二重写しに投影されている。この意味で、聖俗一体の世界像の縮図ということができる。ここに真理の世界が絶対世界ならば、現象世界はその一部であるという真理の表現としての密教的世界観を見ることができると言って良いであろう。

 さて先において「『速時』成仏」という言葉を用いた。ここから「即身成仏」思想への発展の過程を考えてみたい。空海が密教を相承した時に理解したのは、先に引用した『御請来目録』からも読み解けるように、密教とは、従来の大乗仏教と比較して、身体と言葉と心という三種の行為形態(三密)を総合した全身的行法をそなえているので、三劫という無限の時間を要しなくても成仏できるというものであった。そして空海はこの思想をさらに深めていくことになる。帰朝後、空海は密教の布教活動を開始したが、法相宗の学匠、徳一らとの文通や交際を通じて、単に密教経典の言葉だけに拠る「速い」という時間的説明だけでは不十分であると考えるようになった。そこで我々俗なる衆生が、本来、聖なるほとけと質的に異ならないのだ、ということを証明するために、新たな論理体型を確立する必要性を痛感したのである。[vi]

 そうして「速時成仏」から「即身成仏」へと理論展開を図り、構築された理論を『即身成仏義』において明らかにするのである。即身成仏の理論は次の偈を中心に展開されている。

六大無礙にして常に瑜伽なり。
四種曼荼羅各各離れず。
三密加持すれば速疾に顕わる。
重重帝網なるを即身と名づく。
法然に薩般若を具足し、
心数心王刹に過ぎたり。
各各五智無際智を具す。
圓教力の故に實覚智なり。

 以上は、栂尾祥雲氏による訳によれば、以下のようになる。

六大をもってあらわす法界の体性は
これをさまたげるものなく常に瑜伽(とけあ)っている。
四種の曼荼羅(さとりのよ)の真実の相は
かれこれたがいに関連して相離れない
仏と凡夫(よのひと)との三つの神秘の作用(はたらき)が
たがいに加持(ちからぞえ)するがゆえに
速かに悉地(かないごと)をあらわす
あらゆる一切の身が互に重々に円融(とけあい)して
恰(あたか)も帝釈天の珠網の如くなるを
即身(そのみ)と名づく
一切をつつみ一切をつらぬく本初の仏は
法爾自然(ほうにじねん)に
薩般若(あらゆるちえ)を具して不足なし
その本初心の表現たる各々の衆生は
各々の心王心数ありて刹塵(くにのこなのかず)に過ぎたり
その心識そのままが転じて智となるがゆえに
各々に五智と無際限の智とを具して欠くるなし
その智を持って一切を現じ一切を照すこと
円鏡力の如くなるとき真実覚智の仏となる[vii]

 なお、即身成仏を目的の根底には、よく知られている言葉としての「煩悩即菩提」という思想があると言えるだろう。煩悩や欲望を人間の生命のエネルギーと位置付ける方便は、方便だけに終わらせずに、それを契機として正しい智恵、つまりはより高い理想を求めていくように発展させることが密教の立場なのである。確かに密教においては欲望を肯定している。欲にあって欲を離れる、すなわち煩悩に即して煩悩を断ち切るという姿勢に「煩悩即菩提」「現実即理想」という密教の、ひいては大乗仏教の思想が生きてくる[viii]のである。

 また「即事而真」という言葉がある。繰り返すようであるが現実の世界における現象がすなわち真理であるということである。密教思想の特色として、現実を仮のものとは見ず、現実世界にこそ真理が宿ると考えて、現実を重視する姿勢がある。つまり現象は真理に他ならない。真理の世界が絶対世界ならば、現象世界はその一部であり、現象世界も真理の世界と離れているものではない。「即身成仏」、既に仏であると知ることこそ、現象世界と真理の世界の同一視することができる。「当相即道」とは、そのものらしくあることが、すなわち道理にかなっているという意味である。だからこそ、密教の行者は、仏との一体化とともに、衆生への救済という使命を帯びることになる。

 人間は生命ある限り欲望から逃れることはできない。あるいはその欲望とは、「金持ちになりたい」であるとか「名誉を手にしたい」という個人的なものもあるであろうが、「世界から紛争がなくなるように」であるとか、近年であれば顕著な社会問題となっている「差別やいじめがなくなるように」といった社会的な欲望もあるであろう。空海は「虗空盡衆生盡涅槃盡我願盡[ix]」という言葉を残しているが、これも欲望の一つと言える。もっともこれは個人的な欲望ではなく社会的な欲望である。

 上記に上げた欲望について密教的な解釈によれば、金持ちになるとか、病気を治すとか、長生きするといった個人的あるいは世俗的な欲望を満たすことを、「有相の悉地」すなわち「限定された目的の達成」をいう。一方悟りを開きたいという欲望などに代表されるように、絶対の世界、正しい智恵の獲得を「無相の悉地」すなわり「限定されない目的の達成」といって両者を明瞭に区別している。[x]もちろん無相の悉地つまり精神の自由な世界を、より高度な究極の境地とみなすのである。

 結論となるが、もともと密教では、人間存在そのものが絶対存在である、ミクロコスモス以外にマクロコスモスはないと考えるから、現実に存在するこの身体をおいて、悟りはありえないというという論理展開を行っているため、現世における人間重視の姿勢、ひいては現実重視の思想へと繋がるのである。


[i] 『電子版弘法大師全集「三教指帰巻上」』 p41
[ii] 『 同  「遍照発揮性霊集」』 p81
[iii] 『 同  「御請来目録」』 p18
[iv] 『 同  「遍照発揮性霊集」』 p86
[v] 『密教 悟りとほとけへの道』 p84
[vi] 『密教 悟りとほとけへの道』 p85
[vii] 『空海の思想について』 p64
[viii] 『密教』 p206
[ix] 『電子版弘法大師全集「遍照発揮性霊集」』 p516
[x] 『密教』 p207


【参考文献】
松長有慶『密教』(岩波新書)岩波書店、1989年
勝又俊教『密教入門』春秋社、1991年
頼富本宏『密教 悟りとほとけへの道』(講談社現代新書)講談社、1988年
金岡秀友『密教の哲学』(講談社学術文庫)講談社、1989年
宮坂宥勝『仏教の思想9 生命の海』(角川ソフィア文庫)角川書店、1996年
高野山大学密教文化研究所『電子版弘法大師全集』小林写真工業株式会社、2011年
梅原猛『空海の思想について』(講談社学術文庫)講談社、1980年
『真言密教の本』学習研究社、1997年