ベトナム寺院にて

昨夜は、神戸のとあるベトナム仏教寺院にお呼ばれし、お勤めに同席させていただきました。

ベトナムにおいても仏教は、日本と同じく大乗仏教であり、こちらのお寺では主に「阿弥陀経」が読まれています(もちろんベトナム語で唱えられるので私にはわかりませんが・・・)。

ベトナムにも密教は伝わっており、現在「密宗」と言う名前で寺院も信者も、それほど多くはないながらもおられるそうです。

なにぶんコロナ禍の中での毎週のお勤めですので、この日も人数は少なかったとは言え、日本人の私たちからするとたくさんの信者さんが集まっているように思いました。

ちなみに私は、ベトナム仏教とのつながりが深く、毎年お正月には、姫路のベトナム仏教寺院にて護摩供をさせていただいています。

一昨年のお正月でしたか、前日に私が護摩の準備に行っておりましたところ、ベトナム人のとある若者が私に「お手伝いしましょうか?」と声掛けをしてくれ、手伝ってもらったのですが、そのとき「明日は日本人のお坊様が来られるんですか?」と聞いてこられました。「もちろん来ます」「どんなお坊さんですか?」「それは私です」と言うやりとりをすると、とてもびっくりしてしまい、「お坊様がどうしてそのようなジーンズを入っているのですか?」と聞かれました。私は「今日は作業をするのでジーンズを履いてます」と答えると「いやいや、お坊様はそのようなことをせず、誰かにさせて中でお休みください」と言うようなことを言われたことがあります。

そういえば、東南アジアに旅行した私の友人が「バスに乗ると優先座席に、お年寄りや障害者のマークに混じって、僧侶のマークがあった!」と言っていました。

国によって仏教を含め、それぞれが信じるさまざまな宗教があり、そこに住む人々はいろいろな思いを持っておられます。社会の秩序を乱すような宗教では困りますが、国籍や人種はもちろん、信仰や考え方の多様性に寛容な社会でありたいと思います。

お彼岸明け

今日は秋のお彼岸の明けになります。私が、こちらのお寺に来させていただいてから、初めてのお彼岸を務めさせていただきました。

まだ当山の檀家様は少ないですが、無事にお彼岸の中日には、諸精霊のご回向をさせていただきました。

また23日には、コロナ禍の終息と、皆様の健康と安寧を祈念し護摩を行させていただきました。

お彼岸の中日は春は春分の日、秋は秋分の日になっています。ですので、年によって1日2日のズレが生じます。

何故かと申しますと、ちょうど春分の日、秋分の日の太陽は真東から昇り真西に沈むからです。真西と申しますと、阿弥陀様がおられる西方浄土、つまり極楽浄土があるとされている方角になります。ですので彼方の極楽浄土に思いを馳せ、ご先祖様へ感謝の気持ちを伝えるものどうしてお彼岸の風習が始まったと言われています。

お彼岸に限らず、我々が今こうして命をさずけられ、肉体を持ち此岸(この世)で暮らしていることに、血のつながりのある先祖だけでなく、先人への感謝の気持ちを、常日頃から持ちたいものです。