今朝、朝家を出ましたら、近くの空き地に彼岸花が咲いていました。彼岸花は「曼珠沙華」とも言い、仏教とも関わりの深い花です。

濁流に捨てこしむゆる曼珠沙華
赤きを何の生贄とせん
寺山修司
田舎ではこの時期、特段珍しい花でもありませんが、都会ではひときわ目につき、珍しく感じました。
さて、「僧侶」と言うものについて、多くの人から「あ、お仕事は、お坊さんですか」と言われることがあります。
今、国勢調査が行われていますが、私は早々にネットで行ってしまい、職業欄があったかどうかはど忘れをしてしまいましたが、「職業=僧侶」という図式に対してなんとなく違和感を覚えます。
例えば、法事に行かせていただいてお布施をいただく。またはご依頼を受けてご祈祷を行いまたお布施をいただく。この行為は果たして、「仕事」なのか?と思えば私はどうしても違和感を覚えてしまうのです。
どこのお寺でもそうですが、小さなお寺になればなるほど、僧侶という「仕事」だけでは、自分自身が食べることすら難しいですし、実際にうちのお寺でもそうです。
私は、例えばキリスト教の「牧師」さんや「司祭」さんも含めて、僧侶も本来あるべき姿の「聖職者」であるならば、それは「生き方」ではないかと思います。英語にしてしまえば「ライフスタイル」となり、また身も蓋もなくなってしまうのですが、やはり宗教に関わる人たちは、それを「職業」であり「仕事」だというような割り切り方はいけない。むしろやはり前述のように
僧侶は職業
ではなく
僧侶は生き方そのもの
と考える方がしっくりくるのではないかと思うのです。