かんじんなことは目に見えない

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
(サン・テグジュペリ著/内藤濯翻訳)

恥ずかしながら、齢50を過ぎて初めて手に取った、サン・テグジュペリの「星の王子さま」を読んでいます。ブログ冒頭の、星の王子さまが「私」に語る、有名なセリフを初めて物語のなかで読んだ先日、

「おお!これは、『色即是空、空即是色』ではないか!!」

と、驚くとともに、とても感慨深く思いました。

確かに肝心なものや本当に大切なものは、目に見えないものです。しかし目に見えないからといって「無い」のではなく実際にあるのです。
例えば私たちの「命」は目に見えるでしょうか?「肉体があって動いている」というのは「命」がある証明と言えるのでしょうか?

仏様と言うのは本当にいるのでしょうか?私たちはあるときは「仏様」に向かって、またある時はお天道様に向かって祈ることもあります。しかしそれは木や石で作られた「仏像」ですし、お天道様は太陽と言う、「天体」に過ぎません。

また人の心というものを見ることができません。いくら親切な言葉をかけてくれる人でも心から親切な人とも限りません。美しい言葉を話している人は心が美しいとも限りません。逆に口数の少ないけれども心優しいと言う人もいますし、心が綺麗な人もいます。

「きれいは汚い、汚いはきれい」

とは、シェイクスピアの「マクベス」の中に出てくる魔女の呪文ですが、表面に見えたり聞こえたりするものが、真実では決してないのです。

弘法大師は、先程の「色即是空、空即是色」について

色空本より不二なり
事理元より来同なり
無げに三種を融ず
金水の喩その宗なり

(現象としての物質存在(色)は、実在的在り方である空と、もともと別のものではない。
現象と理法とは、本来的に同一である。
現象と理法、理法と理法、現象と現象の三者は、それぞれさまたげあうことなく融合しあっている。
『華厳経』にある金獅子や水波のたとえは、まさに根本理念を示したものである。
松長有慶『空海ー般若心経の秘密を読み解くー』春秋社)

と解説しています。

私たちは、本当に大切なものは目に見えません。
でも目に見えないものでも、大切なものはあなたの側にあるのです。

最後に、金子みすゞさんの美しい詩を紹介します。

「星とたんぽぽ」

 青いお空のそこふかく、
 海の小石のそのように
 夜がくるまでしずんでる、
 昼のお星はめにみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。

 ちってすがれたたんぽぽの、
 かわらのすきに、だァまって、
 春のくるまでかくれてる、
 つよいその根はめにみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。