瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
われても末に逢はむとぞ思ふ
崇徳院
善通寺からの帰り、ふと地図を見ると崇徳天皇の陵(みささぎ)が比較的近くにあるにで、お参りして帰ることにしました。
崇徳院は「保元の乱」に敗れ讃岐の国に流罪となり、のちに「日本最大の怨霊」と恐れられる歴代天皇の1人なのですが、小倉百人一首にも先の歌を残している通り優れた歌人としても知られています。
ところで崇徳院と言えば、落語の「崇徳院」も有名です。この落語を知らない方に、ここでオチをばらしてしまう事は気が引けるところですがあえてバラしますが、最後はもみ合いになったあげく、散髪屋の鏡を割ってしまい「割れても末に買わんとぞ思ふ」と言うオチで締めくくられます。私は土地柄、上方落語に愛着がありますが、例えば桂ざこばさんの高座においても「崇徳院」のオチは上記ですし、おそらく多くの噺家さんもほぼ同様だと認識しています。
しかし、惜しくも数年前に亡くなられましたが、姫路出身の人間国宝でもあった落語家、桂米朝師匠はなぜか、オチがありませんでした。また米朝師匠の内弟子として一番弟子であられた桂枝雀さんも、この「崇徳院」を得意としておられ、師匠である米朝師匠と同じで、不思議なことにオチがありません。
ある時、気がついたのですが、エピローグ部分の散髪屋での大暴れの後
「こうして新しい夫婦ができると言う『崇徳院』と言うおめでたいお噺でございます」
と口上を述べられ高座から降りられるのをビデオで見たときはっと気が付きました。

崇徳院は冒頭で述べましたように「日本最大の怨霊」と言われる、いわば「おどろおどろしい」霊的存在なのですが、そうしたことを知っておればこそ、崇徳院に対する敬意として、この噺を「おめでたい噺」と言う形で終わらせてしまったのではないかと思うのです。
型どおりに語る落語を「定石」とするならば、このように少し変えるだけで、話の意味全体を変えてしまう落語は「王道」ではないかと思います。
本来ドタバタと面白く終わる落語を、おめでたい落語に変えてしまうという事は、緻密に計算された高度な話術によるものではないかと思います。
私は四国八十八カ所の八十一番札所である白峯寺から陵を遥拝し、記念護符をいただいて参りました。