随心院に行きました

ちょっとした用事があり、京都山科にある真言宗善通寺派大本山、随心院に行って参りました。
随心院は、「小野小町の寺」としても有名で、他のお寺とちょっと違う「華やかな」印象を受けます。

まだ、紅葉には若干早い時期でしたが、「そうだ京都に行こう」のポスターにも使われた風景がそこにありました。

やはりコロナ禍の影響もあり、参拝の方も少なく、今であれば却ってゆっくりと見学できるかもしれません。

よく真言宗と言えば「高野山」といわれます。これは決して間違いではありません。一方で京都の東寺であるとか、醍醐寺、皇室の菩提寺でもある泉涌寺など、四国の善通寺など多くの流派の本山があります。

これは、密教の教えが師匠から弟子への「口伝」であるため、徐々に枝分かれしたのだろうと推測しております。朝夕が冷え込む日も多くなり、新型コロナウイルスに加えて、インフルエンザも流行する季節が近づいてきましたが、平穏無事な年末年始が過ごせるように、祈念します。

参考までに・・・真言宗の各流派
広沢流・小野流(野沢十二流)

平安中期に益信に始まる広沢流、聖宝を始祖とする小野流が起こった。両派は、それぞれ六流に分かれて、野沢十二流(やたくじゅうにりゅう)、または、根本十二流と称される。
野沢十二流の定義では、持明院流を広沢流に入れない。また、中院流を小野流に入れない。いずれの法流も、高野山に移ったためである。これは、御七日御修法など公請の修法に関与しないために区別されただけで、野沢十二流は、東密事相の法流をすべてを示したものではない。

広沢流

特徴は、儀軌を重んじる。寛朝(かんちょう)が建立した京都市右京区嵯峨広沢にある広沢池の南にある遍照寺の所在地名が語源となっている。
広義では、東密事相を2分した場合、小野流の対をなす法流。狭義では、広沢流内の法流、仁和三流、広沢三流をあわせて広沢六流と称する。しかし、六流に属する法流は一定しておらず、観音院流・仁和御流系の北院流・慈尊院流などを入れる説もある。保寿院流・仁和御流・西院流(にしのいんりゅう)を仁和三流と称し、華蔵院流・忍辱山流(にんにくせんりゅう)・伝法院流を広沢三流と称する。

小野流
小野流は、真言宗善通寺派大本山 随心院(ずいしんいん。旧称・曼荼羅寺)がある京都市山科区小野が語源となっている。聖宝を小野流元祖、随心院を開創した仁海を小野流流祖とする場合もある。口伝口訣(くでんくけつ)を重じるのが特徴である。
広義では、東密事相を2分した場合、広沢流の対をなす法流。狭義では、小野流内の流派、醍醐三流(理性院流・三宝院流・金剛王院流)と勧修寺三流(随心院流・安祥寺流・勧修寺流)を指す。単に随心院流のみを指す場合もある。