
少し日が経ってしまいましたが、11月1日須磨浦山上遊園日時計での、世界初の試みとなる(?)「日時計ヨガ」に参加してきました。元DJの大久保かれんさんのご指導のもと、また秋晴れの青空の下で気持ちよくヨガをさせていただきました。
私のマイヨガマットも実際のヨガで使われて、ヨガマット冥利に尽きるというものでしょう。
ヨガはヨーガとも言い、漢字では「瑜伽」と書きます。心身を集中・コントロールすることで、大いなるものと自己を一体化するインドの修行方法の一つです。
「ナショナルジオグラフィック」などに掲載されているインドのヨーガ行者は、日常生活全てがヨーガそのものと同一化しているとも言えるストイックなものです。我々が慣れ親しんでいるヨガはどちらかと言えば、健康維持を目的としたものである場合が多いと思います。方法は同じなのでしょうが、求めるものが違うと言うことになります。宗教的行為であれば目的は「悟りの境地」になるでしょうし、アスレチック的なものであれば「健康」になるということでしょう。
いずれにしましても、青空の下でのヨガと言う貴重な経験はとても良い気持ちでした。
ところで真言宗はかつては「瑜伽密宗」と呼ばれることもあります。
コロナ禍の下「三密」という言葉をよく耳にするようになりました。真言宗においては三密と重要な修法の一つです。
「凡そ瑜伽観行を修習する人は、当に須らく具に三密行を修して、五相成身の義を証悟すべし。言う所の三密とは、一つに身密とは契印を結んで聖衆を召請するが如き、これなり。二に語密とは、密かに真言を誦して、文句をして了了文明ならしめて、誤謬なきが如きなり。三に意密とは、瑜伽に住して白浄月の円満に相応し、菩提心を観ずるが如きなり。」
弘法大師『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』
「身密」、「口密」、「意密」の三つを修することです。
つまり、身体で表し、言葉で表し、心に描くことです。
身体で表すと言うのは、手で表す(印契といいます)。また言葉は真言(マントラ、呪文)。そして最も大切なものは心です。その三つが一体化することで仏の境地に至ると言われております。

さて、「日時計ヨガ」の話に戻りますが、ヨガの後はバーベキューテラスでおいしい昼食をいただきました。
ご存知の方もおられるでしょうが、ヨガの先生の大久保かれんさんは長年DJとして活躍されておられました。私も土曜午後はよくかれんさんの番組を聴いていたものです。
かれんさんとは意外にご縁があり、私は実はかれんさんの大学時代を存じ上げております(かれんさんは私をご存じなかったでしょうが)。また、私は大学卒業後役所勤めをしておりましたので、その関係でも、また加えて文化関係の外郭団体に出向しておりましたので、間接的な接点がありました。これまたいつものことながら、ご縁とは不思議なものだなぁと思いいます。
皆さんもまだヨーガに触れたことがない方は、瞑想やヨガの教室の敷居をまたいでみて触れてみてはいかがでしょう。意外とハマるものです。