
山内の木々も色づいてきました。秋の深まりを感じます。
今日は、本堂の幕を張り替えました。
よくこの五色の幕が張られているお寺を目にすることがあると思います。色鮮やかで美しいですね。この五色は仏教の世界観を表しています。この話はまた改めてしたいと思います。

また、滝の行場の入り口に取り付けられた鈴の五色紐も古くなっていたので新しいものと取り替えました。
新しく色鮮やかで、かつ秩序正しく並んでいるさまは見ていて美しいなぁと思います。
また例えば、本堂にかけられている曼荼羅(この写真は当山本堂の胎蔵曼荼羅です)も、鮮やかな色彩で様々な仏様が描かれていて、やはり美しいと感じます。
この曼荼羅と言う言葉は「まだら」の語源となる言葉ですが、「まだら模様」と言いますとランダムに秩序なく色が混ざったような模様を指します。
一方では曼荼羅は「まだら」と同様、仏様の並び方に秩序がなくランダムなのかと言えば決してそうではなく、大日経に描かれた仏様の世界を忠実に秩序正しく表しているのです。

このように秩序と言うものは混沌としたものよりやはり美しいのかな、という気がします。
先日、「私は数字が好きです」と述べました。なぜならば数字の世界はやはり美しいからです。例えば皆さんよくご存知のピタゴラスの定理で表された数式ですが、まさか直角三角形にこのような数字の謎が隠されていたということは驚きですし、やはり私にはこの数字の世界の美しさに魅力を感じます。それは数字には秩序があるからです。曼荼羅の美しさに惹かれるように、数字の美しさに惹かれるのは、どちらも秩序が隠されているからに他ならないからだと思います。
一方山を見渡せば、パッチワークのように紅葉が様々な色で彩られています。この赤や黄色といった色の並びにはおそらく規則はありません。しかし私たちはそれを見て美しいと感じます。
「秩序があるから美しい」「秩序があるからがないから美しいとも限らない」
そういう人間の感受性の豊かさと言うものもやはり驚きです。

当山は、春には桜が楽しめ、秋には紅葉が楽しめる自然豊かな山寺です。
コロナ禍において休日には都会の人混みに出かけていくのではなく、人の少ない山などに出かけ自然に触れてみるのは、例年にない楽しみ方の一つではないか思います。
奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ秋は悲しき
猿丸太夫『古今集』