
「自分の人生を自分が決めると言う事は、自分の心に自分が打ち勝つことです」
アウンサン・スー・チー
昨日は「啓蟄」でした。「啓蟄」とは徐々に暖かくなって冬眠をしていた虫たちが地上に出てくる日と言われています。
まだ、米ソ対立をしていた時代に「プラハの春」と言う出来事がありましたが、冒頭に挙げたアウンサン・スー・チーさんの母国「ミャンマーの春」はまだ先のようです。
つい数日前まで、まだ冬らしい日が続いており、雪が見られる日もありました。
そうした中で、紅梅が咲いているのを見つけて「春が近づいているな」と言う思いがありましたが、ここ数日明らかに、気温も高くなり春めいてきています。
ところで、先日、淡路島の「淡路夢舞台」に視察で行って参りました。

「奇跡の星の植物館」と言われる温室に入館しましたが、温室内では桜が咲いていました。
外界ではまだ紅梅が咲いている時期に、温室の中ではソメイヨシノが咲いているというのも面白いなぁと思いながら花を愛でて参りました。
以前読んだ本の中で桜の薄紅色の染料を採取するのは、桜の花ひらそのものからではなく、桜の木からであるということが書かれてありました。まだ寒く花を咲かせないときにおいても、木全体が花を咲かせようとしているのだと言うことが書かれてあり、感銘を受けたことがあります。
一方、寒い気温の中で、あるいは雪が降りしきる中においても、花を咲かせる梅は美しいものです。厳しい環境にまるで立ち向かうかのように自らを誇らしげに見せる美しさには感動します。
では、温室の中の桜はどうでしょうか?
時々「あの人は『温室育ち』だから」という言葉を聞くことがあります。ぬくぬくしたところで育って苦労知らずだから、だめな人だと言うような意味で使われます。

温室の中の桜も寒さの中の梅も同様やはり美しいものです。そこには、「温室だからだめだ」という余地は入りません。
人間も同じだと思います。
ある人はもともとお金持ちの子供として生まれ、自分がやりたいことを存分にやっていける環境にある人もいるでしょう。また一般の家庭に生まれ制限された環境の中で可能な努力を続けている人もいるでしょう。
例えば東京大学の合格者の家庭の年収は、一般の家庭の平均年収よりはるかに高いと言うデータを目にした方もおられるかもしれません。
しかし、どのような環境であろうと最大限の努力をすると言う事はつまり、冒頭のスー・チーさんの言葉のように自分自身に打ち勝つことに他なりません。
自分自身が努力をし、正しい生き方をしていれば、様々なネットワークもできますし、困っていれば助けてくれる人も出てきます。そうしているうちに運も開けてくるものだと私は思っています。