信頼と放任主義とネグレクト

あるおうちの法事にいかせていただき、そのおうちの息子さんとお話をさせていただいていたところ、

「本当によく怒るおやじでした。勉強しろだの、早起きしろだのと言われましてね。でもおかげで私自身は少々はまともな人間になれたのではないかな」

とおっしゃっておられました。

本当に子供思いの良いお父さんでいらっしゃったんだと思います。

ところで、最近目を通した育児書で気になることが書いてありました。

「朝寝坊をしても、片付けをしなくても、子供を信頼しているのなら何も言うべきではない」

といった内容でした。

特に私自身が非常に違和感を覚えたのは、その著者の小学生のお子さんが、毎日遅刻をされるようで、面談の際に担任の先生から

「私も、もう少し早起きをして遅刻をしないようにと言っているのですが、お父さんお母さんからも言ってもらえませんか?」

と言われたときに、すでに学校の先生が言っているのだから、親があえて言う必要は無いといったことが書かれていることでした。

また散らかしたものの片付けは、親ができるのだから、あえて本人たちがする必要は無いといったことも書かれていました。

論調は、
「子供を無条件に信頼して、何も言わないことが親の最大の愛情である」
と、私は読み取りました。

果たしてそうでしょうか?

私は日本の経済人の中で、土光敏夫さんと本田宗一郎さんが好きなのですが、本田宗一郎さんは社長となってからも、現場に出て社員とともに汗を流すだけでなく、社員のアイデアに意見をしたり、ときには議論にエキサイトして手をあげたりするような熱血漢だったそうです。現在ではすぐにやれパワハラだと言う言葉が聞こえてきそうですが、仕事熱心だけでなく、泥臭く、愛情あふれる、当時を知るすでに現役を引退した社員の方々が「おやじさん」と慕うような魅力が、本田宗一郎さん亡き後の本田技研を支えてきたのではないかと思います。

仏教の仏様の中には、よくご存じのように「お不動さん」と慕われている「不動明王」と言う仏様がおられます。

怖い顔をして片手に諸刃の剣を握り、片手に羂索(けんさく)と言う縛り上げるためのなわを持っています。

これは、悪い方向に行こうとする人間の弱い心に対し、剣で脅して縄で縛って連れ戻すことを表しています。剣が諸刃なのは、その怒りで自分自身も傷つくことを表しています。

同じように、子に愛情を持って叱る親は自分自身も叱りながら傷ついているものです。

実際に叱ってくれた親を懐かしく偲んでおられる立派な息子さんとお話をしながら、

「無条件に信頼しているから子供には何も言わない」
という子育て方法が合っている子供さんも”ひょっとしてなかには”おられるかもしれませんが、これ幸いに

「私は我が子信頼しているので我が子のすることには一切口を出しません」

というのは、むしろネグレクトそのものではないのかと感じました。