哀しい哉 哀しい哉 哀れが中の哀れなり
悲しい哉 悲しい哉 悲しみが中の悲しみなり
哀しい哉 哀しい哉 復哀しい哉
悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉
弘法大師『亡弟子智泉が為の達嚫(たっしん)の文』

今日であの東日本大震災から10年を迎えました。
あの日、私は確か午後からプライベートの仕事で出かけ、その後自宅に帰ってテレビをつけたところ地震が発生していることを知りました。
阪神淡路大震災を身をもって体験している人間としてやはり人ごとではなく、さらにはあの原発事故と言う史上最悪の事態まで発生し、関西と東北は距離がありながらも、身も震える出来事でした。
一昨年、都市防災研究の第一人者、神戸学院大学中山久憲教授(昨年3月に定年退官)の研究室が行う被災地の定点観測に随行させていただく機会がありました。

東京オリンピックはあの震災からの復興をアピールすると言う趣旨が盛り込まれていますが、私が研究室に随行し、東北を視察した感じでは、まだまだ復興半ばであり、道のりは長いと言う印象でした。

東日本大震災で最も知られている悲劇は、あの児童の大半が亡くなった大川小学校だと思います。
研究の趣旨からは離れるのですが、もちろんのことながら大川小学校にも立ち寄り、震災の凄まじさを感じ、さらには多くの幼い御霊に対して涙を流さずにはいられませんでした。
大川小学校については、裁判も行われ、一応の決着はつきましたが、あの時恐怖で震えながら、死ななければならなかった子供たちや教職員に思いを馳せると、「安らかにお眠りください」などという言葉がとても安っぽく感じ、ただただ悲しみが心の奥底から吹き出し目からは涙が流れるばかりでした。
そこに人が住んでいる限り、これからもまちは復興の道を歩みますし、風景はどんどん変わっていくことだと思います。まさに定点観測と言う研究方法は、まちの復興についての非常に貴重な記録になります。

私たちは、災害に限らずあらゆることを歴史から学ぶ必要があります。
歴史を軽んじる人は未来を軽んじる人だと思います。
無念にも亡くなられたあまりにも多くの御霊の声なき声に耳を傾け、そして今ではなく、未来を考える生き方を今の私たちがすることが特にこの不安定な世情において求められていることではないでしょうか。