ジム・モリソン没後50年

先日の、「Voce of America」のニュースによれば、往年のロックグループ「ドアーズ」のヴォーカリスト、ジム・モリソン没後50年の自然な集まりが、彼の眠るパリ(ペール・ラシューズ墓地)であったそうです。

ジム・モリソンは、世界的なロックスターとしてではなく、詩人としても有名な人物で、1971年7月3日にパリのアパートで亡くなっているところを発見されました。

彼の死は、いまだに多くの謎に包まれています。

ジム・モリソン擁するドアーズは、キーボードにレイ・マンザレク、ギターにロビー・クリガー、ドラムスにジョン・デンズモアというベースレスの4人編成で、パンク、ヘヴィメタル、サイケデリックの祖とも言われ、1990年代には、名匠オリヴァー・ストーンによって映画化もされました。

何よりもジム・モリソンの文学的な歌詞と過激なパフォーマンスで、それまでの「ロックンロール」の常識をまさに「ブレイク・スルー」したバンドでした。

ジム・モリソンはまた、東洋思想、特に仏教の影響を受けていたようで、マンダラの世界観を詩にしたり、映像作品を残しています。

その映像作品はDVDなどで発売されていませんが(オリヴァー・ストーン監督映画『ドアーズ』のワンシーンとして登場します)、詩作については、ジム・モリソン没後、彼の詩の朗読録音に3人のメンバーが音楽をかぶせた『アメリカン・プレイヤー』で聴くことが出来ます。

て私は1971年といえば既に生まれていますが、彼の死が報じられた時を知りません。

しかし、中学・高校とドアーズのサウンドを聴くようになってから、没後15周年に、ドアーズのメンバーが来日したことはよく覚えています(その来日時にライブは行っていません)。

今回の没後50年の集会はとても静かなものだったようです(「Voice of America」)。しかしかつては、パンクの聖地として墓参が絶えず、ショパンも眠る、ペール・ラシューズ墓地は落書きだらけになっていたと聞きます。実際私の大学時代の恩師(武本竹生教授・神戸商科大学)の講義の中で、当時のペール・ラシューズ墓地を訪れた時の写真を見せていただいたことがありますが、パンクだらけで近づきにくい危険な雰囲気がありました。

その後、パンクブームも下火になったことや、苦情が相次いだこともあり、ジム・モリソンは静かな眠りを取り戻したようです。

私は、1998年にジム・モリソンのお墓参りをしましたが、誰かが花とタバコが供えられていたことを思い出します。

それにしても50年とは思ったより早いものだと思うとともに、幸若舞『敦盛』を思い浮かべます。

「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」

の一説は有名ですが、よく織田信長と結び付けられ「人間の一生は五十年」と解釈されがちなのですが、この「人間」とは「人の世」であり、ここに登場する「下天」とは、仏教のいう「六欲天」の最下位の世であり、この世界においての一昼夜は人間界の50年に当たり、その住人の定命は500歳とされるので、人の世の50年とは「下天」と比較すればあっという間だという意味です。

実際に50年生きてきた身からしても、事実人間の50年もあっという間のような気がします。

なおのこと、ジム・モリソンの倍ほど生きた今となってこそ、毎日毎日を無駄にせずに生きたいものだと思います。