真言宗善通寺派(しんごんしゅうぜんつうじは)は、日本における真言系仏教宗派のひとつで、古義真言宗に属します。総本山は香川県の善通寺です。

真言宗は「十八本山」といわれるように『高野山真言宗』『真言宗東寺派』『真言宗醍醐派』『真言宗大覚寺派』など、主に18の『派』に分かれていますが、これは千年以上の長きにわたる「師資相承」の中で、作法の流派が分かれてきたことに由来すると思われます。

中でも特に、総本山善通寺は、弘法大師がご誕生の御寺として、十八本山の中でも『総本山金剛峯寺(高野山)』、『総本山教王護国寺(東寺)』と並ぶ『弘法大師三大霊蹟』に数えられる大変由緒ある寺院です。

宗祖 : 弘法大師
派祖 : 増俊僧正
法流 : 随心院流
宗紋 : 十六菊複瓣(心に「善」字)
沿革 :

真言宗善通寺派の歴史は、仁海が曼荼羅寺(後の随心院)を開創したことに始まる。仁海は真言宗の事相(真言密教の儀礼・作法)の奥義を極めた。その名声を慕って多くの入門者が集まり、門下から成尊などの多くの名僧を輩出した。仁海が伝えた事相は、小野流と称され、仁海が流祖とされた。

1115年(永久3年)増俊が勧修寺勝福院において厳覚から伝法灌頂を受けて、その法燈を継いだ。仁海創建の曼荼羅寺の子院であった増俊の住坊であった随心院において、増俊が事相の流派である「随心院流」を分派した。このころから、曼荼羅寺は随心院と称されるようになった。

明治政府の宗教政策により、他の真言宗宗派と1879年(明治12年)に合同する。多くの寺院が離脱していくなかで東寺を中心した四派聯合を形成していたものの、1907年(明治40年)、随心院を本山とする真言宗小野派として独立する。

1931年(昭和6年)3月14日には、真言宗小野派の宗規を改正して真言宗善通寺派と改称した。このときに随心院に能化職を置き、宗務所を善通寺に設けることになった。

1941年(昭和16年)3月、古義真言宗・新義真言宗系の宗派が政府の政策によって合同し、大真言宗が成立する。

戦後、大真言宗から独立し、1947年(昭和22年)4月、単称の真言宗と公称したが、他の真言宗各派の均衡を慮って1972年(昭和47年)7月17日に真言宗善通寺派と称して現在に至っている。

<Wikipediaより>